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お久しぶりの投稿です。

2015年1月20日(火)

1/1の投稿(こちら)から、結構時間が開きましたね、、、、

1/2、母が亡くなりましてね。
色々バタバタしておりました。

難病の「多系統萎縮症」(こちら)と言う病気である事が分かったのが、2013/8。
その半年前に 圧迫骨折をしたのですが、骨折自体は治っているのに、トボトボ歩くし、ちゃんと歩けないのは 何故なのかな・・と思っていました。
色々と病院を回った結果の診断が、神経系の病気「多系統萎縮症」。

根本的な治療法も無い、薬も無い、その時点で、「数ヶ月単位で どんどん進んで行きます。最後は寝たきりになります。」と主治医から言われましてね。
母は、それまで病気らしい病気をした事が無かったので、かなりの驚きと言うか、急に「命の期限」を設定された感じがして、私自身も 結構、戸惑いがありましたねぇ。

最初は、「そんなに 急には 進行しないもんだな」って思っていたのですが、先日まで出来た事が もう出来ないと言う事が徐々に増えて来まして。
例えば、5センチの段差も 勢いを付けないと、またげなくなったり、字が段々ちゃんと書けなくなったり、立たせるにも、こっちの力を非常に使うようになったり、自力で立っている事が出来なくなったり・・・。
また、声帯も筋肉なので、動きが悪くなり、結果、飲み込みも悪くなって、その影響で、食事が上手く食べれなくなって、ドンドン痩せて行ったり・・・。
また、声もドンドン出なくなって行き、聞き取るのも困難な位で、母にマイクのようなもので喋ってもらい、それを大きく出来る機械を通して聞き取る と言うような事をしていました。

そんなこんなで色々あり、入院したり、「胃ろう」(こちら)と言う 胃に穴を開けて、そこから栄養を入れる手術をしたり・・と。

10月末に入院、そして、12月中旬に退院をして、そこからは家で介護をしていたのですが、「多系統萎縮症」としては、ま、変わらない感じでね。

唯一の心配は、病気の影響で、睡眠時無呼吸症候群になり、そのまま息が止まってしまう事で。
その対策として、呼吸器を付けて寝る事にしていたのですが、母が「寝にくいから付けたくない」と言う事で、本人の意見を尊重し、付けないで寝ていました。
なので、寝ている間に息が止まったら、そのまま朝、亡くなった状態で発見される事もあるんだな・・と、その時点で 私自身では覚悟のようなものをしていました。

1/2の夜中、母と一緒な部屋で寝ている父が、「冷たくなってる!!」と私を起こしに来ました。
「えぇぇーーーーーーーーーーー!?!?!?」と驚き、母の部屋に 走って行って、母の顔を触ると、冷たくなってる・・・・。
そして、脈を確認しようと思って、手や首を触った所、まだちょっと温かい・・・。
本当に亡くなっているのか分からない位、母は寝ているかのような顔でね。
恐らく、睡眠時無呼吸症候群で息が止まったか、または「たん」が喉に詰まって、息が出来なくなったか、どちらか・・なのかなと思いました。

で、父に「救急車呼んで!!」と。

程なくして、救急車が来ましたが、でも、その時点で母は もう手遅れだったようで、救急隊員の方の処置を行っても、息を吹き返す事はありませんでした。

その6時間前の1/1の21時頃、母のおむつを替えたのが 生きている母と会った最後でした。
その時も いつもと変わらない様子でした。
1/1の朝、8時頃におむつを替えた時に、「こんな正月になってしまって、ごめん」と母が謝っていたので、「んな事ないよ~」って言いました。

また、その日の夕方、ホントに たまたま兄家族が来て、大好きな孫に会い、お年玉もあげて、写真も一緒に撮って・・・と、とても楽しそうで。
「おばあちゃん子」だった孫たちと ニコニコ笑って話をしていました。
その日の夜に亡くなった訳ですが、孫に会えて、安心したんですかねぇ。

非常に真面目で しっかりしていて、経済的にも 色んな面でも 子供に世話を掛けずに、自分で色々とやって来ていた母でした。
病気になり、いずれ 寝たきりになる事が分かった時に、自分で出来る内に・・・と、身辺の整理を始めました。
そして、ペンをちゃんと持てず、字が書けなくなっていた母は、まだ、パソコンの前で座れている頃に、パソコンで、父、私たち兄弟、兄の奥さん、姉の旦那さん、そして、孫に 自分の思いを手紙に書いていました。

また、年末に母は私に、「家のお金の事を話したい」と私を呼び、金融機関の書類を出して来て、説明をし始めました。
自分の声がちゃんと出る間に話をしておきたいと言う思いがあったんだと思うのですが・・・。
また、母は 病気になる以前から、自分のお葬式で使う「遺影」の写真を選んであったので、その保管している場所も聞いたりして・・・。

亡くなる前には、ベッドに寝ていても、自分で布団さえ上げれない、自分では 体勢も変えれない位だったのですが、病気が進んで行って、この先、自分自身がどうなるか分からない不安とか、家族に迷惑が掛かってしまう とか、そんなのを抱えていたんだろう と思うんですよね。
なので、母が亡くなった事自体は、残された家族は、それは当然ながら悲しい事なのですが、でも、もしかして、母は今頃、ホッとしている部分もあるのかなぁ・・とも思っています。
そして、今頃、母が幼い頃に亡くしたお父さん、そして、10年位前に亡くなったお母さんに 久しぶりに再会して、元気に喋っているのでは無いかな・・って思ってます。

横浜市鶴見区で生まれた母は、7~8才で福井に引っ越して来たそうです。
横浜っ娘だった母には、当時の福井は あまりに田舎でビックリしたそうですが。

誰も知らない街で 苦労して育ち、父と結婚する時にも、私の祖母にあたる義母とは 大変だったそうで、ずっと苦労して来たそうです。
その母の苦労を 私が知ったのは、ごく最近だったのですが、県外に嫁いだ私の姉は、帰省した際、母から よく、色んな話を聞いていた様です。
私は一緒に住んでいる事もあり、普段、改めて、なかなか聞く機会がなく、姉から最近、初めて聞いた事が多いです。

苦労の人生だったんだなぁ・・と思い、そんな母には、病気に掛からず、楽な老後を送らせてあげたかったですねぇ。

子供の頃の私が覚えている母は、いつも働いてる母でした。
遊びに行く事もなく、仕事や家事をしている姿しか 記憶がありません。
母が仕事で帰りが遅くなる時は、私が母の代わりに家事をしてましたねぇ。
お陰で、家事は、早い段階から 色々出来る様になりました。
堅実で真面目な、そして、メモ好きな母でした。
私の性格の多くは、母から受け継いでいると 自分でも思っています。

私は母から『勉強しなさい』と言われた事は、1度もありませんでした。
また、子供に『こうしなさい』と言う事もなく、子供が決めた事には、反対もしませんでした。
何故なのかを聞いた時に母は、『信用してるから』と言いました。
今思うと、子供に何も言わないと言う事は、本当に難しい事だと思うし、自分だったら出来るか分からないです。

私が働き始めた頃、母は 仕事を退職したのですが、毎日、孫達(兄の子供)と楽しそうでしたねぇ。
また、父と2人で 国内外、色んな所に旅行に行っていました。

私が50代、60代になる頃には、どっちかの親はもう居ないんだろうなぁ・・なんて 漠然と思っていましたが、意外に早く、その時期が来たなぁ・・と思いました。
子供って、『親は亡くならない』なんて、勝手に思い込んでる所もありますが、そうじゃないんだなぁ・・って改めて思いますね。

母には、感謝の気持ちで一杯です。


そんなこんなで、亡くなって約20日経ちましたが・・・。
父子2人の生活になり、、、、、
元々、あまり接点が無かった父・・と言いますか・・・、母がいつも間に入っていた感じで生活していた事もあり、今は、何だか微妙に「こぜりあい」(笑)がよく起きて(笑)、イラッとする事があったりした時にも、笑顔の母の遺影は「そんなに怒らんと、仲良くやんなさいよぉ」とか「父を頼みますよ」と言っているようで・・・。
「しゃぁないなぁ・・」と思って、日々、生活しております。


さて・・・・。
また、ボチボチと記事をアップして行くので、また、よろしくお願いしますね。


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4件のコメント

[C1050] ご冥福をお祈りいたします。

お久しぶりです。以前コメントを書かせていただいた者です。覚えていてくれたら幸いです。

ブログのアップが止まっていたので、「どうしたのかな?」と思っていたら、大変なことがあったのですね。そうとは知らず…

お母様、最後にお孫さんたちやたくさんのご家族と会えたり話など出来てうれしかったと思います。
今はまだ、悲しみが消えないときかもしれませんが、お母様は心の中で生き続けていますよ。
お母様の思い出話に花を咲かせてくださいね。
たくさんの思い出があると思いますから…

お母様のご冥福をお祈りいたします。

まっちゃな旅人さんもゆっくり休んでくださね。
  • 2015-01-21
  • 投稿者 : まきたん
  • URL
  • 編集

[C1051] はじめまして。

抹茶な旅人さん、はじめまして。いつも楽しく拝見しております。私も抹茶が好きで、偶然このブログに出会いました。友達とのlunchのお店選びにも、参考にさせて頂いております。
いつも読み逃げの為、コメントするのは初めてです。すみません( TДT)

久しぶりのブログを見て、ビックリしまして、思わずコメントしております。それは、私の母も抹茶な旅人さんのお母様と同じ病気だったからです。こんな難病の方が近くにもいらっしゃったとは驚きです。
この病名と話を聞いた時、本当に目の前が真っ暗になりました。日々動けなくなって行く母を見ているのは、辛いものがあります。
本当に働き者だった母なだけに、抹茶な旅人さんのお母様と被る所が多々ありまして…。私の母は、何とかまだ自力でご飯が食べれています。いつも「ごめんね」って言われるのは辛いですね。

お母様のご冥福をお祈りします。

抹茶な旅人さん、大変な事も多いかもですが、私も頑張ろうと思います。ありがとうございました。
  • 2015-01-21
  • 投稿者 : まちゃき
  • URL
  • 編集

[C1052] まきたんさん

お久しぶりですね(^^)。
2年半位ぶり、3年弱ぶり位になりますでしょうか・・?

この度は ご丁寧にありがとうございます。
そして、お気遣いいただき、ありがとうございす。

今は、母関連の「色んな提出書類」と格闘している毎日です。
父と2人の生活も まだまだ慣れないですが、そして、落ち着いて来たら、それはそれで、また、何かの新たな寂しさも出て来るでしょうし・・ね。

時間を見つけて、また記事をアップして行きますので、これからもよろしくお願いします^^。

  • 2015-01-31
  • 投稿者 : まっちゃな旅人
  • URL
  • 編集

[C1053] まちゃきさん

初めまして。
書き込みありがとうございます。

この度は ご丁寧にありがとうございます。
そして、お気遣いいただき、ありがとうございす。

お母様も同じ病気ですか・・・。
段々動けなくなって行くのを見るのは、家族も辛いですが、一番辛いのは、本人なんだろうと思うんですよね。
頭はしっかりしている分、家族へ世話を掛ける事が分かっていて生きて行く辛さ と言うか。
母は 父に「薬でも打って、死なせてくれ」と言った事があるらしいです。
一方で、理学療法士の方等には、「出来なくなった事を悔やむより、1日1日、今日も生きている事を感謝しよう」的な事を言われたそうで、それを聞いて母は 比較的 前向きに生活は していたように思います。

亡くなるちょっと前も、自分の部屋で ずっとベッドで寝ているのも嫌なので、リハビリをして、車椅子に長い時間乗れるようになって、リビングの方に行きたい と言って、訓練を始めた所でした。

お母様の病状が この後どう進んで行くのか、そして、どんな状況になっても、自分は、変わらない気持ちで ちゃんと接して行けるのか・・等、不安は一杯ですよね。
私も、この状態が5年10年続いたとしたら、母に 優しく接する事が出来るのだろうか・・と、不安に思った事も多々ありました。

ですが、あまり根をつめると、家族も持たないので、利用出来る制度は利用して、家族の方への負担が多くなり過ぎないようにして行って下さいね。
国からの補助も結構出るので、その点は、安心出来ると思いますし。


では・・・。
時間を見つけて、また記事をアップして行きますので、これからもよろしくお願いします^^。
  • 2015-01-31
  • 投稿者 : まっちゃな旅人
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福井県在住。
たまに海外旅行に行く事と、「体操競技」観戦、そして、「抹茶スイーツ」を始めとして、美味しいものを食べる事を楽しみにしている いたって普通の会社員です。。

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