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「体操競技」との出会い・歴史<私と体操>【超大作】
2006年10月15日(日)
昨日から、体操の世界選手権が、デンマークのオーフスで開催されていますね(こちら)。
今回の代表選手は⇒こちら。
TVでの放送は、17日の夜中からですね(こちら)。
今回も楽しみです。
確か、アテネオリンピック(こちら)で一緒に金メダルを取った鹿島選手(こちら)・米田選手(こちら)、中野選手(こちら)は、ケガ中だったような・・。
さて、本題・・
。(「超大作」ですので、覚悟を・・・)
私が「体操競技」(こちら)を初めて見たのは、今から22年前、'84年のロサンゼルスオリンピック(こちら)での、森末慎二さん(こちら)の鉄棒競技でした。
そうです!!森末さんが10点満点を出したあの鉄棒です。
「わぁ〜、体操ってすごーーーい
」と思って見てました。
そして、その次、88年のソウルオリンピック(こちら)では、体操団体で銅メダルを取り、池谷幸雄さん(こちら)&西川大輔さん(こちら)のコンビが大ブレイクしましたね〜。
私も見てましたよ〜。
学校の体操部の友達が、エラく盛り上がっていて、大会後に、ニッポン放送の「オールナイトニッポン」を2人だけでやった時のテープまで、貸し出されちゃいました・・。
今思えば、現役の高校生、しかも単なる体操選手が、「オールナイトニッポン」をしちゃうなんて、スゴイ事ですよね。
もちろんスペシャル企画だったので、放送は1回だけでしたが・・。
そして、92年のバルセロナオリンピック(こちら)は、不覚にも、全然見てませんでしたぁ
。
そして
、93年夏、私が体操競技と「縁」が更に深くなる出来事が起こります。
それは、95年10月1〜10日に、福井県鯖江市で開催された世界体操競技選手権・鯖江大会(こちら)です。
場所:サンドーム福井(こちら)

「体操の世界選手権が、この地元で開催される!!」
「もうこうなったら、何かスタッフとして関わるしかない
。」
そう思った私は、会社の先輩で、既に、何かスタッフをしているらしい人に、「あのぉぉぉ〜。何かしてるんですよねぇぇぇ・・・?」と声を掛けました。
その先輩は、「・・・ん?? 来る?」と早速、集まりに来るように言われ、とりあえず、行きました。
それが、93年の夏のことです。
その先輩がしていたのは、この世界選手権・鯖江大会のPRボランティア「MOVE」と言うもので、大会の2年前から、大会のPRをあらゆる所で行うと言うボランティアでした。
その活動には、100名以上のボランティアが居て、代表は、地元鯖江の ある40代の方でしたが、メンバーは10代から、上は50代の方まで居たのではないでしょうか?
中心は20〜30代だったでしょうか。
週末毎にある 県内各地のいろんなイベント・お祭りに出掛け、グッズ販売やステージバフォーマンスなどをしたり、あと全国の体操の大会(ジュニアから国体まで)にも出掛け、大会をPRしました。
代表が、「福井県内、全市町村を回る」と言う考えがあり、ホントにたくさんの場所に出掛けました。
また、PRボランティアとして、やはり、体操の事、世界選手権の事、選手の事などなど、色々勉強もしなくては!!と、私が発起人で、みんなで勉強会もしました。
おかげで、かなり詳しくなりましたけどね。
94年に名古屋であった「わかしゃち国体」(こちら)に出掛けた時は、あのコマネチさん(こちら)とご一緒しました。
コマネチさんは、この世界選手権・鯖江大会の広報も担当されていたのです。
コマネチさんは、かなりな強行スケジュールで、かなりお疲れの様子だったので、私、「Are you tired?」と聞いたら、「大丈夫よ(的な英語)(^o^)」とおっしゃっていました。
イメージでは、金メダリストですし、キツそうな怖そうな人かと思っていたのですが、結構優しそうな、フレンドリーな方でした。
そんなこんなで、体操に触れる2年間を過ごし、大会期間中は、大会ボランティアとして、また一般観客として、体操を楽しみました。
10日間、毎日、会場に行ってました
。

開会式には、裏方スタッフとして参加させていただき、入場を待っている選手団の所でボランティアをしましたし、会場の観客席案内もしました。
会場の観客席案内・・・、ほとんど体操を見てましたけど・・・
。
これ、当時の会場の様子です。

開会式には、秋篠宮ご夫妻も来られました。
とぉぉ〜くで見てましたケド・・・。

体操選手って、多分、みなさんの中では、現役選手で思いつく人って、そう居ないんじゃないでしょうか・・?
確かに、今は、去年の世界選手権で個人総合で金メダルを取った(こちら)冨田洋之選手(こちら)、親子金メダルの塚原直也選手(こちら)などなど、一般的に有名な選手もいるので、思いつくかもしれませんね。
でも、当時の体操に対する世間のイメージは、「マイナー」だったので、世界選手権・鯖江大会の時も、客席にフツ〜に世界の一流選手が座ってたり、廊下をプラプラ歩いてたりしてましたよ。
(今も、もちろん、その名残は全然ありますけどね・・)
私のイチオシ選手は、世界選手権・鯖江大会、そして96年のアトランタオリンピックで主将を務めた佐藤寿治さん(こちら)です。
佐藤さんは当時、大和銀行の体操部に所属されていました。
顔がちーさくって、体全体のバランスがとてもよくて、何より、性格がいい!!
大会期間中、お話しをさせていただく機会があったのですが、ホントに「好青年」でした。
一緒に撮っていただいた写真は、今 見ても、ちょっとニヤけちゃいます・・・。
・・・って、体操本体は・・?
体操でも、全日本選手権でも優勝、オリンピック・世界選手権の代表選手でもあり、一流の選手ですので、けっして、見かけ・性格だけが好きなのではありません・・・。
世界選手権・鯖江大会の、日本男子選手の結果は・・・。(敬称略)
男子代表選手:
佐藤 寿治 / 田中 光 / 西川 大輔 / 畠田 好章 /
前田 将良 / 増田 宏正 / 松永 政行
団体⇒銀メダル(2位)
種目別⇒田中光:平行棒3位、畠田 好章:あん馬2位、鉄棒2位
と言う好成績でした。

最終日の夜は、鯖江市内の会場であった 選手団の為の「さよならパーティー」にもボランティアで参加でき、世界の一流選手にたくさんサインをしていただき、写真まで一緒に撮ったりして、かなり楽しかったです。
ちなみにこれは、IDカードなのですが、右の方が、私のイチオシ・佐藤寿治さんのサインです。

そんなこんなで、私が2年間の時間を捧げた世界選手権・鯖江大会、とうとう終ってしまった訳です。。。。
しかし、これでまだ終わりません
。
96/5、アトランタオリンピックの代表選考会を兼ねた体操のNHK杯が、神奈川県川崎市で開催され、これにも、はるばる行ってきました。
佐藤さんがプラプラと歩いておられたので、話しかけに行って来ました。
いやぁ・・
、やっぱり好青年でした
。
そして、迎えた’96年のアトランタオリンピック(こちら)・・・。
代表選手(敬称略):
佐藤寿治 / 畠田好章 / 田中光 / 前田将良
塚原直也 / 栗原茂 / 内山隆
メダルは1つも無い・・・と言う結果でした(こちら)。。。
いや、メダルが全てでは無いのです。
選手が自分の力を出し切ったか?それが大事なのです・・。
しかし、これでもまだ終わりません
。
翌年、鯖江市が『97/10、「世界体操1周年メモリアルイベント」をする
』と言い出したのです。
世界選手権・鯖江大会の組織委員会の方から、前述のPRボランティア「MOVE」の私たちに、「何か企画してくれないか?」とのお誘いがありました。
会場は、同じく、サンドーム福井。
テーマは、「体操」・「ボランティア」・「国際交流」・・・。
私達が担当するテーマは、「ボランティア」でした。
「何か難しそうだな・・・」と思いつつ、「MOVE」の3人で、企画・スタッフ探しから始めました。
そのイベント本体には、「世界選手権・鯖江大会に出場した選手を呼んで、サンドームで演技会をする」と言う★スバラシイ企画★(←私には・・?)もあったので、その選手に、ちょっと、私達の方にも、参加してもらう・・?って事になりました。
ただ、選手は、下手に、どこででも、演技は出来ないモノなのです。
ケガをしてしまったら大変ですし、たとえ、学校の体育館にあるような「マット」の上でも、演技はやってはくれません。。。
(クッションが違うので、身体を痛める原因になるそうです)
なので、「体操教室」と言う事で、チビッコ達に演技指導してもらおうではないか!?と、交渉を開始しました。
交渉担当は、「MOVE」のメンバーでもあり、世界選手権・鯖江大会の公式コンパニオンでもあり、イベント・開会式で佐藤寿治さんと何度も面識のある女性。その友達も、佐藤さんのファン。)になりました。
佐藤さんは、快くokして下さいました。
イベント当日、佐藤さんは、大和銀行の後輩の選手と参加をして下さって、和やかな楽しい雰囲気の中で無事、終わりました。
佐藤さんも、「とっても楽しかった」との事でした。
イベントの中での私の役目は、統括的な役割だったのですが、何せ、イチオシ佐藤さんがそこにいらっしゃるもんで、佐藤さんが来られている間は、佐藤さんの控えの所に居ました(*^o^*)。
だって。。。ねぇ・・・。
で、くだらない雑談なんかしたり、子供向けのバルーン風船を一緒にしたり(佐藤さんにはお子さんがいらっしゃるのですよね)、あとは、帰りの電車までの時間を、何人か一緒に喫茶店で過ごしたり。。。と公私混同・・・?
いやぁ・・
、やっぱり好青年でした
。
これで終わると思ったら、大間違い
。
その翌年の98年、またまた、鯖江市で、今度は、体操のワールドカップ(こちら)が開催になる事が決まりました。(こちら)

今回も、またまた鯖江市からの依頼を受けて、「選手も巻き込んだイベントを企画して欲しい」
との事で、準備に入りました。
今回は、子供への「体操教室」の他に、選手とのゲームも企画しました。
結構、盛り上がっていましたよ。
大会の結果自体は・・。(敬称略)
男子代表選手:
米田功・塚原直也・栗原茂・笠松昭宏(すいません・・、あとは不明です・・・。)
種目別男子:
ゆか⇒米田功(こちら) 3位
つり輪⇒栗原茂(こちら) 3位
でした。
この時も、もちろん大会期間中は会場で見てましたし、大会ボランティアもしてました。
会場で見つけた佐藤寿治さんに、またまた、IDカードにサインをしていただきました。
この頃はもう引退されていたので、コーチとして来られていました。
サインの横の「88」は、日本代表になった年の事です。

また、最終日の、選手との懇親会にも、無理やり(?)紛れ込み、世界の一流選手にたくさんサインをしていただき、写真まで一緒に撮ったりして、かなり楽しかったです。
アテネオリンピックの後に鹿島選手・水鳥選手(こちら)が話していましたが、この鯖江でのワールドカップを、会場で実際に見て、世界を意識したそうなので、一スタッフだった者として、それを聞いて、本当に嬉しかったです♪♪。
そもそも、95年の世界選手権・鯖江大会、98年のワールドカップと、なぜ鯖江で??とお思いでしょうか?
鯖江は、元々体操が盛んな地域で、体操専門の体育館(立待体育館)もあります。
そこに日本代表選手が合宿に来ていたり・・・していた事もあり、候補地になったようです。
そう言えば、99年だったか、富山で開催された全日本選手権にも、またまた前述の友達と行きましたねぇ・・・。
ストーカーじゃないよね・・
?
そして、迎えた2000年のシドニーオリンピック(こちら)・・・
代表選手(敬称略):
岩井則賢 / 藤田健一 / 原田睦巳
笠松昭宏 / 斉藤良宏 / 塚原直也
アトランタオリンピックに続き、またまたメダルは1つも無い・・・と言う結果(こちら)でした。。。
いや、メダルが全てでは無いのです。
選手が自分の力を出し切ったか?それが大事なのです・・。
団体は4位だったのですよね〜
。
あと一歩・・・
。
そして、みなさんご存知の、2004年のアテネオリンピック(こちら)に続く訳です。
代表選手(敬称略):(こちら)
米田功/冨田洋之/水鳥寿思
塚原直也/鹿島丈博/中野大輔
男子団体⇒1位
種目別/あん馬⇒鹿島丈博:3位
種目別/平行棒⇒冨田洋之:2位
その時の新聞です。
「一面」での報道!嬉しかったです。
今でも、ビデオと共に、大切に保管してあります。


私、この時は、日夜逆転の生活してました〜。
だた、男子団体の時は、ホントに怖くて見てられなくて、寝てました。
この13年間程、体操競技を見てて、集中し過ぎて頭痛くなるわ、吐きそうになるわ、手に汗握るわ、ドキドキしまくるわ・・・で、本当に身体に悪いんですよ・・・。
それに、今回は、期待されてのオリンピック参加だったので、「もし、失敗したら、どうする〜」と、心配で心配で。。。
しかし、そんな心配をよそに、前述の友達からの、夜明けの「金メダル、取りそう」と言うメールがあって、その後、「金メダルだよ〜♪」で、ようやくTVをつける事が出来ました。
「伸身の新月面が描く放物線は栄光への架け橋だ〜」の名言を残しましたね(こちら)。
私、あのNHKの刈屋アナ(こちら)、以前から体操の中継ではお見かけしていましたが、今回は、神様に見えましたよ〜。
しかも、初任地が福井県とは。。
本当に良かったです
。
この金メダルは、日本体操協会の努力・研究、そして、それを着実に実行して来た全国の体操関係者、そして、体操選手の努力などの結晶でしょうねぇ。
諸外国から、「日本に追いつけ!追い越せ!」で、本当に追い越されてしまった80年代の日本体操界。
低迷を続けた90年代。
そして、「追い越していった外国」の練習方法を再度研究し、「技のすごさ」ではなく、「体操の基本」に立ち返った日本体操界が、その基本に忠実にジュニアを教育して行き、それが、今の冨田選手・鹿島選手のような「美しい体操」を生んだ訳です。
本当にお疲れさまでした。
きっと、また何十年前かのように、「日本に追いつけ!追い越せ!」で来ると思うのですが、何とか頑張って欲しいです。
・・と、ちょっとしんみりしましたが。。。
その「アテネオリンピックの感動を再び」と、アテネオリンピックの後、'04/11、「凱旋演技会」が鯖江で開催されました。(こちら)

基本的には、選手のゆかりのある都市(地元・所属地)などで開催してたようですが、鯖江は、前述の通り、体操にゆかりのある場所である事、アテネオリンピックの前に、日本代表選手が合宿をした場所でもあるので、「凱旋演技会」開催となったようです。

この日、鹿島選手は、ケガの為、演技は出来ませんでしたが、会場にはいらっしゃいました。
「演技会」と言う事もあり、本番通りの演技は見る事が出来ませんでしたが、でも、十分な演技は見る事が出来ました。
中野選手は、アテネオリンピックでは成功しなかった平行棒の下り技「ムーンサルト」(こちら)を、会場のリクエストに応じてやってくださって、無事、成功させていました。
「世界No.1の演技」としてみんなの演技を生で見る事が出来た事が、本当に夢のようでした。
閉会式の後に、選手が客席にサインボールを投げると言うコーナーがあり、無事、鹿島選手のをGetしました
会場の鯖江市総合体育館は、そんなに大きくないので、下で投げようとしている選手がかなり近いのですが、鹿島選手がすぐ近くに居たので、「ちょうだい
」と言う感じで、両手を出したら、私の方に投げてくれました。
やったぁ
ちなみに、この日は、冨田選手の24歳の誕生日と言う事で、花束も渡されていました。
'05/7には、NHK杯(こちら)が、またまた鯖江で開催されました。
(NHK杯兼世界体操競技選手権大会日本代表決定競技会兼東アジア競技大会日本代表決定競技会)

もちろん、これにも行ってきました。
アテネオリンピック後の初めての大きな国内大会だったので、結構、世間の注目度の高かった大会でしたね。



いつもはクールで、何事にも動じない冨田選手が、この日、今までに見た事ない位の「絶不調」で、「話しかけるな」「近寄るな」の雰囲気をかもし出していました。
前日に風邪をひいてしまって、熱もあり、体調は最悪だったようです。
ちなみに、この日の優勝は、水鳥選手でした。
NHK杯、初優勝!
おめでとう〜
この大会で、05/11にオーストラリア・メルボルンで開催される世界選手権の代表が決定しました。
冨田選手は、NHK杯は惜しくも2位でしたが、世界選手権の代表には選ばれました。
3位は鹿島選手です。
この日、私は、初めて、鹿島選手の生の演技を見ました(こちら)。
身長169cmの股下86cm(体の半分以上、足ですよね・・。)と言う、超恵まれた体型でのあん馬の演技は、以前から「美しい」とは聞いていましたが、本当にすごかったです。
演技中、会場から、どよめきが出ました。
手足の長い選手と言うのは、演技にダイナミックさが出るんですよね〜。
特に、足の長い選手のあん馬の演技は、特に・・・です。
一方、冨田選手は、いわゆる「逆三角形」の体操選手らしい体型です。
私が好きだった佐藤寿治さんは、前述の通り、もう引退されていて、「コナミスポーツ」(こちら)の体操部(こちら)でコーチをされています。
福井以外で開催される大会には行けないので、そんな時はTVで見ているのですが、よく選手の近くに居たり、サポートをしているのを見かけます。
発見
佐藤さん。。。
一番手前で立っている2人の左側です。

今回、世界選手権・鯖江大会から10年と言う事で、あの時選手だった方が、コーチとして来られているのも見かけました。
佐藤さんもその1人ですが、畠田さんも日体大(こちら)のコーチとして来られていました。
日体大からは、84年ロサンゼルスオリンピックの個人総合優勝の具志堅幸司さん(こちら)も来られていましたね〜。
こんな2人に、指導・器具の調整なんかをしてもらってる日体大生!! 羨ましいぞぉ!!
見てる観点が違う私・・・。(「現役選手を見ろっ」と突っ込まれそうですね・・・。)
私は、「わぁ・・・、佐藤さんだぁ。。。」と思いつつ、「今回は、現役選手を見に来たんだわ」と心を落ち着けて見てたのですが、「佐藤さんに喋りかけに行こっかな〜」などと、邪念も消えず・・。
でも、最後に会ったのが、もう・・、少なくとも6〜7年前なので、「声掛けして、覚えててもらえなかったら、逆に悲しいわ・・」と思って、見てるだけにしました。
でも、「そうだわ♪ 一ファンとして話しかければいいのよ」と思い直し、試合が終わって、客席の通路を歩く佐藤さんに、「佐藤さん!!」って声掛けしました。
そしたら、佐藤さん、「あぁぁぁ〜!!久しぶりですねぇ〜」って
。
覚えててくれました!!!
佐藤さん:「何年ぶりですか? 10年ぶりですか?」(佐藤さんは、世界選手権・鯖江大会から10年と言う事で、「10年」と出て来たと思われます。私が地元の人間だと言う事も覚えて下ささってた訳です)
私:「いえ、6〜7年ぶりですね」
佐藤さん:「あっそうか、全日本選手権の時にも会ってますよね。」
って〜
ちょっとぉ〜
、富山での全日本選手権で会った事まで覚えてて下さったんですよね〜
。
ホントに、やっぱり「好青年」です。
まぁ・・、もう「青年」と言う年齢ではないですけど・・、でも、爽やかな笑顔は、まだまだ健在でした♪
そして、しばし談笑をして、またまたサインをいただき、お別れしました。
(「いくつサインあるんやって?」と突っ込まれそうですね・・・。)
↓ 書いていただくものを持ってなくて、たまたま持っていたA4サイズの「クリヤーファイル」に書いていただきました。

このNHK杯は、今だかつて体操の大会で見た事がない「黄色い声」を聞けました。
長い期間、「体操=マイナー」だった訳ですが、アテネオリンピックの後の大会だけはあり、急に増えた体操ファン(「にわか」じゃない事を祈ります)が押し寄せていました。
アテネオリンピックに出場した選手は、みんな美形だったので、そのせいもあるでしょうか。
米田選手があるファンに客席近くに呼ばれて、プレゼントを渡した後なんかは、そのファンの周辺、盛り上がって「キャ〜」って言ってました。
若い女性が「出待ち」までしてたのを見た時は、「ホント、よかったなぁ〜」と、母のような気持ちにもなりました・・。
そして、いよいよフィナーレ。
05/11のオーストラリア・メルボルンでの世界選手権(こちら)になります。
詳しいレポートは、日本体操協会のサイトへ⇒こちら。
代表選手(敬称略):
水鳥寿思、冨田洋之、鹿島丈博、
山田辰也、関口栄一
個人総合⇒冨田洋之:1位
個人総合⇒水鳥寿思:2位
種目別/あん馬⇒鹿島丈博:3位
鹿島選手は、3大会連続のメダルです(こちら)。(←この写真見ると、「足長い」って思うでしょ?)
表情から見ると、鹿島選手本人は、もう少し上位を狙っていたようですね。
でも、そんな長い期間、Topで活躍できる事自体、脅威です!!
「個人総合優勝」、日本選手が一番上の表彰台に乗って、「君が代」を聞ける日が来るなんて、本当に夢のようです。
アテネオリンピックの団体金メダルとは、また全然違う感動です。
冨田選手が金メダルを取った時の実況は、またまた、あのアテネオリンピック団体金の時と同じ、NHKの刈屋アナでした。
「金メダルアナ」と呼ばせてもらいます♪
ちなみに、この大会で、女子の黒田真由選手が、段違い平行棒4位でした(こちら)。
惜しかったぁ〜。
演技を見てて、「メダル!イケた!」って思ったんですけどねぇ・・・。
でも、日本の女子選手がこんな上位に来るなんて、びっくり!
「日本選手として、16年ぶりに世界選手権の予選を突破」ですって。
嬉しかったです。
長々と「私と体操」について語ってきましたが、読んでいただき、お疲れ様でしたぁ
最後に・・・。
ここでは一度も名前の出てきていない選手で、私が好きな海外の選手を、男女1名ずつ紹介します。
たくさん居るのですが、悩みに悩んで、1人ずつ。
〔男子〕
★アレクセイ・ネモフ(ロシア)⇒こちら
95年、世界選手権・鯖江大会で、世界にデビュー(かな?)。
96年アトランタオリンピック、00年シドニーオリンピックで6個ずつ、4つの金を含む計12個のメダルを獲得しています。
アテネでは、取れませんでした。
身長も大きく、ダイナミックな演技をしますし、存在感やスター性も兼ね備えた選手です。
アテネオリンピックの鉄棒では、こんな事件がありました⇒こちら
採点に場内から大ブーイングが起き、得点が上方修正されました。
ありえない出来事ですよね。
その得点修正処理にかなり時間がかかってしまい、その上に、上方修正された点数に、まだ更にブーイングが起きたんです。
次の演技の選手がずっと待たされてた訳で、そんな状況に、ネモフは、演技台にあがり、「みんなありがとう! もう十分だよ!」的なジャスチャーをして、観客をなだめていたと言うか、応えていました。
ジェントルマン!!
ちなみに、マニアなサイトにこんなの見つけました⇒こちら
〔女子〕
★スヴェトラーナ・ホルキナ(ロシア)⇒こちら
95年、世界選手権・鯖江大会で、世界にデビュー。
10代の選手が多い中、10年間にも渡って世界のtopに君臨し続けた体操界の女王です。
男子選手のように、「技」に走る若手選手が多い中、彼女の体操には、技だけではなく、優雅さも兼ね備えていました。
手足も長く、本当に美しい体操をする選手でした。
世界選手権の個人総合優勝、アトランタオリンピック・シドニーオリンピックとも、段違い平行棒で優勝していますが、ただ、、、オリンピックの個人総合優勝には、結局、縁がありませんでした・・・。(アテネオリンピック・個人総合は、銀メダル)
ホルキナが、オリンピックの個人総合で金メダルを掛けて、表彰台の一番高いとこにのぼる姿、見たかったです。
アテネオリンピックのホルキナで印象的だったのは競技後、ホルキナがロシア国旗を観客席から渡してもらい、演技台に立ったり場内一周したり、喜びの表情を見せていたことです。
今回が最後になるかもしれないオリンピックで、何とか金メダルをあげたい!!、そう思っていましたが、彼女自身は金メダルを逃した悲しみよりも、五輪で初の個人総合メダルに大変喜んでいたように見えました。
団体での銅メダルといい、彼女が決して暗い表情を見せなかった事にホッとしました。
体操の技が、動画アニメーションで解説されているサイトがありましたので、よければ・・⇒こちら
(これ見てると、ものすごい盛り上がるんですけど、私だけ・・ですよね・・・。)
日本体操協会の公式HP⇒こちら
◆関連記事
’06/10 世界選手権 ⇒ こちら
’06/11 全日本選手権 ⇒ こちら
'06/11 TBS系「情熱大陸」 冨田洋之選手出演 ⇒ こちら
'06/12 アジア大会 ⇒ こちら
昨日から、体操の世界選手権が、デンマークのオーフスで開催されていますね(こちら)。
今回の代表選手は⇒こちら。
TVでの放送は、17日の夜中からですね(こちら)。
今回も楽しみです。
確か、アテネオリンピック(こちら)で一緒に金メダルを取った鹿島選手(こちら)・米田選手(こちら)、中野選手(こちら)は、ケガ中だったような・・。
さて、本題・・
。(「超大作」ですので、覚悟を・・・)私が「体操競技」(こちら)を初めて見たのは、今から22年前、'84年のロサンゼルスオリンピック(こちら)での、森末慎二さん(こちら)の鉄棒競技でした。
そうです!!森末さんが10点満点を出したあの鉄棒です。
「わぁ〜、体操ってすごーーーい
」と思って見てました。そして、その次、88年のソウルオリンピック(こちら)では、体操団体で銅メダルを取り、池谷幸雄さん(こちら)&西川大輔さん(こちら)のコンビが大ブレイクしましたね〜。
私も見てましたよ〜。
学校の体操部の友達が、エラく盛り上がっていて、大会後に、ニッポン放送の「オールナイトニッポン」を2人だけでやった時のテープまで、貸し出されちゃいました・・。
今思えば、現役の高校生、しかも単なる体操選手が、「オールナイトニッポン」をしちゃうなんて、スゴイ事ですよね。
もちろんスペシャル企画だったので、放送は1回だけでしたが・・。
そして、92年のバルセロナオリンピック(こちら)は、不覚にも、全然見てませんでしたぁ
。そして
、93年夏、私が体操競技と「縁」が更に深くなる出来事が起こります。それは、95年10月1〜10日に、福井県鯖江市で開催された世界体操競技選手権・鯖江大会(こちら)です。
場所:サンドーム福井(こちら)

「体操の世界選手権が、この地元で開催される!!」

「もうこうなったら、何かスタッフとして関わるしかない
。」そう思った私は、会社の先輩で、既に、何かスタッフをしているらしい人に、「あのぉぉぉ〜。何かしてるんですよねぇぇぇ・・・?」と声を掛けました。
その先輩は、「・・・ん?? 来る?」と早速、集まりに来るように言われ、とりあえず、行きました。
それが、93年の夏のことです。
その先輩がしていたのは、この世界選手権・鯖江大会のPRボランティア「MOVE」と言うもので、大会の2年前から、大会のPRをあらゆる所で行うと言うボランティアでした。
その活動には、100名以上のボランティアが居て、代表は、地元鯖江の ある40代の方でしたが、メンバーは10代から、上は50代の方まで居たのではないでしょうか?
中心は20〜30代だったでしょうか。
週末毎にある 県内各地のいろんなイベント・お祭りに出掛け、グッズ販売やステージバフォーマンスなどをしたり、あと全国の体操の大会(ジュニアから国体まで)にも出掛け、大会をPRしました。
代表が、「福井県内、全市町村を回る」と言う考えがあり、ホントにたくさんの場所に出掛けました。
また、PRボランティアとして、やはり、体操の事、世界選手権の事、選手の事などなど、色々勉強もしなくては!!と、私が発起人で、みんなで勉強会もしました。
おかげで、かなり詳しくなりましたけどね。
94年に名古屋であった「わかしゃち国体」(こちら)に出掛けた時は、あのコマネチさん(こちら)とご一緒しました。
コマネチさんは、この世界選手権・鯖江大会の広報も担当されていたのです。
コマネチさんは、かなりな強行スケジュールで、かなりお疲れの様子だったので、私、「Are you tired?」と聞いたら、「大丈夫よ(的な英語)(^o^)」とおっしゃっていました。
イメージでは、金メダリストですし、キツそうな怖そうな人かと思っていたのですが、結構優しそうな、フレンドリーな方でした。
そんなこんなで、体操に触れる2年間を過ごし、大会期間中は、大会ボランティアとして、また一般観客として、体操を楽しみました。
10日間、毎日、会場に行ってました

開会式には、裏方スタッフとして参加させていただき、入場を待っている選手団の所でボランティアをしましたし、会場の観客席案内もしました。
会場の観客席案内・・・、ほとんど体操を見てましたけど・・・
。これ、当時の会場の様子です。

開会式には、秋篠宮ご夫妻も来られました。
とぉぉ〜くで見てましたケド・・・。

体操選手って、多分、みなさんの中では、現役選手で思いつく人って、そう居ないんじゃないでしょうか・・?
確かに、今は、去年の世界選手権で個人総合で金メダルを取った(こちら)冨田洋之選手(こちら)、親子金メダルの塚原直也選手(こちら)などなど、一般的に有名な選手もいるので、思いつくかもしれませんね。
でも、当時の体操に対する世間のイメージは、「マイナー」だったので、世界選手権・鯖江大会の時も、客席にフツ〜に世界の一流選手が座ってたり、廊下をプラプラ歩いてたりしてましたよ。
(今も、もちろん、その名残は全然ありますけどね・・)
私のイチオシ選手は、世界選手権・鯖江大会、そして96年のアトランタオリンピックで主将を務めた佐藤寿治さん(こちら)です。
佐藤さんは当時、大和銀行の体操部に所属されていました。
顔がちーさくって、体全体のバランスがとてもよくて、何より、性格がいい!!
大会期間中、お話しをさせていただく機会があったのですが、ホントに「好青年」でした。
一緒に撮っていただいた写真は、今 見ても、ちょっとニヤけちゃいます・・・。
・・・って、体操本体は・・?
体操でも、全日本選手権でも優勝、オリンピック・世界選手権の代表選手でもあり、一流の選手ですので、けっして、見かけ・性格だけが好きなのではありません・・・。
世界選手権・鯖江大会の、日本男子選手の結果は・・・。(敬称略)
男子代表選手:
佐藤 寿治 / 田中 光 / 西川 大輔 / 畠田 好章 /
前田 将良 / 増田 宏正 / 松永 政行
団体⇒銀メダル(2位)
種目別⇒田中光:平行棒3位、畠田 好章:あん馬2位、鉄棒2位
と言う好成績でした。

最終日の夜は、鯖江市内の会場であった 選手団の為の「さよならパーティー」にもボランティアで参加でき、世界の一流選手にたくさんサインをしていただき、写真まで一緒に撮ったりして、かなり楽しかったです。
ちなみにこれは、IDカードなのですが、右の方が、私のイチオシ・佐藤寿治さんのサインです。

そんなこんなで、私が2年間の時間を捧げた世界選手権・鯖江大会、とうとう終ってしまった訳です。。。。
しかし、これでまだ終わりません
。96/5、アトランタオリンピックの代表選考会を兼ねた体操のNHK杯が、神奈川県川崎市で開催され、これにも、はるばる行ってきました。
佐藤さんがプラプラと歩いておられたので、話しかけに行って来ました。
いやぁ・・
、やっぱり好青年でした
。そして、迎えた’96年のアトランタオリンピック(こちら)・・・。
代表選手(敬称略):
佐藤寿治 / 畠田好章 / 田中光 / 前田将良
塚原直也 / 栗原茂 / 内山隆
メダルは1つも無い・・・と言う結果でした(こちら)。。。
いや、メダルが全てでは無いのです。
選手が自分の力を出し切ったか?それが大事なのです・・。
しかし、これでもまだ終わりません
。翌年、鯖江市が『97/10、「世界体操1周年メモリアルイベント」をする
』と言い出したのです。世界選手権・鯖江大会の組織委員会の方から、前述のPRボランティア「MOVE」の私たちに、「何か企画してくれないか?」とのお誘いがありました。
会場は、同じく、サンドーム福井。
テーマは、「体操」・「ボランティア」・「国際交流」・・・。
私達が担当するテーマは、「ボランティア」でした。
「何か難しそうだな・・・」と思いつつ、「MOVE」の3人で、企画・スタッフ探しから始めました。
そのイベント本体には、「世界選手権・鯖江大会に出場した選手を呼んで、サンドームで演技会をする」と言う★スバラシイ企画★(←私には・・?)もあったので、その選手に、ちょっと、私達の方にも、参加してもらう・・?って事になりました。
ただ、選手は、下手に、どこででも、演技は出来ないモノなのです。
ケガをしてしまったら大変ですし、たとえ、学校の体育館にあるような「マット」の上でも、演技はやってはくれません。。。
(クッションが違うので、身体を痛める原因になるそうです)
なので、「体操教室」と言う事で、チビッコ達に演技指導してもらおうではないか!?と、交渉を開始しました。
交渉担当は、「MOVE」のメンバーでもあり、世界選手権・鯖江大会の公式コンパニオンでもあり、イベント・開会式で佐藤寿治さんと何度も面識のある女性。その友達も、佐藤さんのファン。)になりました。
佐藤さんは、快くokして下さいました。
イベント当日、佐藤さんは、大和銀行の後輩の選手と参加をして下さって、和やかな楽しい雰囲気の中で無事、終わりました。
佐藤さんも、「とっても楽しかった」との事でした。
イベントの中での私の役目は、統括的な役割だったのですが、何せ、イチオシ佐藤さんがそこにいらっしゃるもんで、佐藤さんが来られている間は、佐藤さんの控えの所に居ました(*^o^*)。
だって。。。ねぇ・・・。
で、くだらない雑談なんかしたり、子供向けのバルーン風船を一緒にしたり(佐藤さんにはお子さんがいらっしゃるのですよね)、あとは、帰りの電車までの時間を、何人か一緒に喫茶店で過ごしたり。。。と公私混同・・・?
いやぁ・・
、やっぱり好青年でした
。これで終わると思ったら、大間違い
。その翌年の98年、またまた、鯖江市で、今度は、体操のワールドカップ(こちら)が開催になる事が決まりました。(こちら)

今回も、またまた鯖江市からの依頼を受けて、「選手も巻き込んだイベントを企画して欲しい」
との事で、準備に入りました。
今回は、子供への「体操教室」の他に、選手とのゲームも企画しました。
結構、盛り上がっていましたよ。
大会の結果自体は・・。(敬称略)
男子代表選手:
米田功・塚原直也・栗原茂・笠松昭宏(すいません・・、あとは不明です・・・。)
種目別男子:
ゆか⇒米田功(こちら) 3位
つり輪⇒栗原茂(こちら) 3位
でした。
この時も、もちろん大会期間中は会場で見てましたし、大会ボランティアもしてました。
会場で見つけた佐藤寿治さんに、またまた、IDカードにサインをしていただきました。
この頃はもう引退されていたので、コーチとして来られていました。
サインの横の「88」は、日本代表になった年の事です。

また、最終日の、選手との懇親会にも、無理やり(?)紛れ込み、世界の一流選手にたくさんサインをしていただき、写真まで一緒に撮ったりして、かなり楽しかったです。
アテネオリンピックの後に鹿島選手・水鳥選手(こちら)が話していましたが、この鯖江でのワールドカップを、会場で実際に見て、世界を意識したそうなので、一スタッフだった者として、それを聞いて、本当に嬉しかったです♪♪。
そもそも、95年の世界選手権・鯖江大会、98年のワールドカップと、なぜ鯖江で??とお思いでしょうか?
鯖江は、元々体操が盛んな地域で、体操専門の体育館(立待体育館)もあります。
そこに日本代表選手が合宿に来ていたり・・・していた事もあり、候補地になったようです。
そう言えば、99年だったか、富山で開催された全日本選手権にも、またまた前述の友達と行きましたねぇ・・・。
ストーカーじゃないよね・・
?そして、迎えた2000年のシドニーオリンピック(こちら)・・・
代表選手(敬称略):
岩井則賢 / 藤田健一 / 原田睦巳
笠松昭宏 / 斉藤良宏 / 塚原直也
アトランタオリンピックに続き、またまたメダルは1つも無い・・・と言う結果(こちら)でした。。。
いや、メダルが全てでは無いのです。
選手が自分の力を出し切ったか?それが大事なのです・・。
団体は4位だったのですよね〜
。あと一歩・・・
。そして、みなさんご存知の、2004年のアテネオリンピック(こちら)に続く訳です。
代表選手(敬称略):(こちら)
米田功/冨田洋之/水鳥寿思
塚原直也/鹿島丈博/中野大輔
男子団体⇒1位
種目別/あん馬⇒鹿島丈博:3位
種目別/平行棒⇒冨田洋之:2位
その時の新聞です。
「一面」での報道!嬉しかったです。
今でも、ビデオと共に、大切に保管してあります。


私、この時は、日夜逆転の生活してました〜。
だた、男子団体の時は、ホントに怖くて見てられなくて、寝てました。
この13年間程、体操競技を見てて、集中し過ぎて頭痛くなるわ、吐きそうになるわ、手に汗握るわ、ドキドキしまくるわ・・・で、本当に身体に悪いんですよ・・・。
それに、今回は、期待されてのオリンピック参加だったので、「もし、失敗したら、どうする〜」と、心配で心配で。。。
しかし、そんな心配をよそに、前述の友達からの、夜明けの「金メダル、取りそう」と言うメールがあって、その後、「金メダルだよ〜♪」で、ようやくTVをつける事が出来ました。
「伸身の新月面が描く放物線は栄光への架け橋だ〜」の名言を残しましたね(こちら)。
私、あのNHKの刈屋アナ(こちら)、以前から体操の中継ではお見かけしていましたが、今回は、神様に見えましたよ〜。
しかも、初任地が福井県とは。。
本当に良かったです

。この金メダルは、日本体操協会の努力・研究、そして、それを着実に実行して来た全国の体操関係者、そして、体操選手の努力などの結晶でしょうねぇ。
諸外国から、「日本に追いつけ!追い越せ!」で、本当に追い越されてしまった80年代の日本体操界。
低迷を続けた90年代。
そして、「追い越していった外国」の練習方法を再度研究し、「技のすごさ」ではなく、「体操の基本」に立ち返った日本体操界が、その基本に忠実にジュニアを教育して行き、それが、今の冨田選手・鹿島選手のような「美しい体操」を生んだ訳です。
本当にお疲れさまでした。
きっと、また何十年前かのように、「日本に追いつけ!追い越せ!」で来ると思うのですが、何とか頑張って欲しいです。
・・と、ちょっとしんみりしましたが。。。
その「アテネオリンピックの感動を再び」と、アテネオリンピックの後、'04/11、「凱旋演技会」が鯖江で開催されました。(こちら)

基本的には、選手のゆかりのある都市(地元・所属地)などで開催してたようですが、鯖江は、前述の通り、体操にゆかりのある場所である事、アテネオリンピックの前に、日本代表選手が合宿をした場所でもあるので、「凱旋演技会」開催となったようです。

この日、鹿島選手は、ケガの為、演技は出来ませんでしたが、会場にはいらっしゃいました。
「演技会」と言う事もあり、本番通りの演技は見る事が出来ませんでしたが、でも、十分な演技は見る事が出来ました。
中野選手は、アテネオリンピックでは成功しなかった平行棒の下り技「ムーンサルト」(こちら)を、会場のリクエストに応じてやってくださって、無事、成功させていました。
「世界No.1の演技」としてみんなの演技を生で見る事が出来た事が、本当に夢のようでした。
閉会式の後に、選手が客席にサインボールを投げると言うコーナーがあり、無事、鹿島選手のをGetしました
会場の鯖江市総合体育館は、そんなに大きくないので、下で投げようとしている選手がかなり近いのですが、鹿島選手がすぐ近くに居たので、「ちょうだい
」と言う感じで、両手を出したら、私の方に投げてくれました。やったぁ

ちなみに、この日は、冨田選手の24歳の誕生日と言う事で、花束も渡されていました。
'05/7には、NHK杯(こちら)が、またまた鯖江で開催されました。
(NHK杯兼世界体操競技選手権大会日本代表決定競技会兼東アジア競技大会日本代表決定競技会)

もちろん、これにも行ってきました。
アテネオリンピック後の初めての大きな国内大会だったので、結構、世間の注目度の高かった大会でしたね。



いつもはクールで、何事にも動じない冨田選手が、この日、今までに見た事ない位の「絶不調」で、「話しかけるな」「近寄るな」の雰囲気をかもし出していました。
前日に風邪をひいてしまって、熱もあり、体調は最悪だったようです。
ちなみに、この日の優勝は、水鳥選手でした。
NHK杯、初優勝!
おめでとう〜

この大会で、05/11にオーストラリア・メルボルンで開催される世界選手権の代表が決定しました。
冨田選手は、NHK杯は惜しくも2位でしたが、世界選手権の代表には選ばれました。
3位は鹿島選手です。
この日、私は、初めて、鹿島選手の生の演技を見ました(こちら)。
身長169cmの股下86cm(体の半分以上、足ですよね・・。)と言う、超恵まれた体型でのあん馬の演技は、以前から「美しい」とは聞いていましたが、本当にすごかったです。
演技中、会場から、どよめきが出ました。
手足の長い選手と言うのは、演技にダイナミックさが出るんですよね〜。
特に、足の長い選手のあん馬の演技は、特に・・・です。
一方、冨田選手は、いわゆる「逆三角形」の体操選手らしい体型です。
私が好きだった佐藤寿治さんは、前述の通り、もう引退されていて、「コナミスポーツ」(こちら)の体操部(こちら)でコーチをされています。
福井以外で開催される大会には行けないので、そんな時はTVで見ているのですが、よく選手の近くに居たり、サポートをしているのを見かけます。
発見
佐藤さん。。。一番手前で立っている2人の左側です。

今回、世界選手権・鯖江大会から10年と言う事で、あの時選手だった方が、コーチとして来られているのも見かけました。
佐藤さんもその1人ですが、畠田さんも日体大(こちら)のコーチとして来られていました。
日体大からは、84年ロサンゼルスオリンピックの個人総合優勝の具志堅幸司さん(こちら)も来られていましたね〜。
こんな2人に、指導・器具の調整なんかをしてもらってる日体大生!! 羨ましいぞぉ!!
見てる観点が違う私・・・。(「現役選手を見ろっ」と突っ込まれそうですね・・・。)
私は、「わぁ・・・、佐藤さんだぁ。。。」と思いつつ、「今回は、現役選手を見に来たんだわ」と心を落ち着けて見てたのですが、「佐藤さんに喋りかけに行こっかな〜」などと、邪念も消えず・・。
でも、最後に会ったのが、もう・・、少なくとも6〜7年前なので、「声掛けして、覚えててもらえなかったら、逆に悲しいわ・・」と思って、見てるだけにしました。
でも、「そうだわ♪ 一ファンとして話しかければいいのよ」と思い直し、試合が終わって、客席の通路を歩く佐藤さんに、「佐藤さん!!」って声掛けしました。
そしたら、佐藤さん、「あぁぁぁ〜!!久しぶりですねぇ〜」って

。覚えててくれました!!!
佐藤さん:「何年ぶりですか? 10年ぶりですか?」(佐藤さんは、世界選手権・鯖江大会から10年と言う事で、「10年」と出て来たと思われます。私が地元の人間だと言う事も覚えて下ささってた訳です)
私:「いえ、6〜7年ぶりですね」
佐藤さん:「あっそうか、全日本選手権の時にも会ってますよね。」
って〜

ちょっとぉ〜
、富山での全日本選手権で会った事まで覚えてて下さったんですよね〜
。ホントに、やっぱり「好青年」です。
まぁ・・、もう「青年」と言う年齢ではないですけど・・、でも、爽やかな笑顔は、まだまだ健在でした♪
そして、しばし談笑をして、またまたサインをいただき、お別れしました。
(「いくつサインあるんやって?」と突っ込まれそうですね・・・。)
↓ 書いていただくものを持ってなくて、たまたま持っていたA4サイズの「クリヤーファイル」に書いていただきました。

このNHK杯は、今だかつて体操の大会で見た事がない「黄色い声」を聞けました。
長い期間、「体操=マイナー」だった訳ですが、アテネオリンピックの後の大会だけはあり、急に増えた体操ファン(「にわか」じゃない事を祈ります)が押し寄せていました。
アテネオリンピックに出場した選手は、みんな美形だったので、そのせいもあるでしょうか。
米田選手があるファンに客席近くに呼ばれて、プレゼントを渡した後なんかは、そのファンの周辺、盛り上がって「キャ〜」って言ってました。
若い女性が「出待ち」までしてたのを見た時は、「ホント、よかったなぁ〜」と、母のような気持ちにもなりました・・。
そして、いよいよフィナーレ。
05/11のオーストラリア・メルボルンでの世界選手権(こちら)になります。
詳しいレポートは、日本体操協会のサイトへ⇒こちら。
代表選手(敬称略):
水鳥寿思、冨田洋之、鹿島丈博、
山田辰也、関口栄一
個人総合⇒冨田洋之:1位
個人総合⇒水鳥寿思:2位
種目別/あん馬⇒鹿島丈博:3位
鹿島選手は、3大会連続のメダルです(こちら)。(←この写真見ると、「足長い」って思うでしょ?)
表情から見ると、鹿島選手本人は、もう少し上位を狙っていたようですね。
でも、そんな長い期間、Topで活躍できる事自体、脅威です!!
「個人総合優勝」、日本選手が一番上の表彰台に乗って、「君が代」を聞ける日が来るなんて、本当に夢のようです。
アテネオリンピックの団体金メダルとは、また全然違う感動です。
冨田選手が金メダルを取った時の実況は、またまた、あのアテネオリンピック団体金の時と同じ、NHKの刈屋アナでした。
「金メダルアナ」と呼ばせてもらいます♪
ちなみに、この大会で、女子の黒田真由選手が、段違い平行棒4位でした(こちら)。
惜しかったぁ〜。
演技を見てて、「メダル!イケた!」って思ったんですけどねぇ・・・。
でも、日本の女子選手がこんな上位に来るなんて、びっくり!
「日本選手として、16年ぶりに世界選手権の予選を突破」ですって。
嬉しかったです。
長々と「私と体操」について語ってきましたが、読んでいただき、お疲れ様でしたぁ

最後に・・・。
ここでは一度も名前の出てきていない選手で、私が好きな海外の選手を、男女1名ずつ紹介します。
たくさん居るのですが、悩みに悩んで、1人ずつ。
〔男子〕
★アレクセイ・ネモフ(ロシア)⇒こちら
95年、世界選手権・鯖江大会で、世界にデビュー(かな?)。
96年アトランタオリンピック、00年シドニーオリンピックで6個ずつ、4つの金を含む計12個のメダルを獲得しています。
アテネでは、取れませんでした。
身長も大きく、ダイナミックな演技をしますし、存在感やスター性も兼ね備えた選手です。
アテネオリンピックの鉄棒では、こんな事件がありました⇒こちら
採点に場内から大ブーイングが起き、得点が上方修正されました。
ありえない出来事ですよね。
その得点修正処理にかなり時間がかかってしまい、その上に、上方修正された点数に、まだ更にブーイングが起きたんです。
次の演技の選手がずっと待たされてた訳で、そんな状況に、ネモフは、演技台にあがり、「みんなありがとう! もう十分だよ!」的なジャスチャーをして、観客をなだめていたと言うか、応えていました。
ジェントルマン!!
ちなみに、マニアなサイトにこんなの見つけました⇒こちら
〔女子〕
★スヴェトラーナ・ホルキナ(ロシア)⇒こちら
95年、世界選手権・鯖江大会で、世界にデビュー。
10代の選手が多い中、10年間にも渡って世界のtopに君臨し続けた体操界の女王です。
男子選手のように、「技」に走る若手選手が多い中、彼女の体操には、技だけではなく、優雅さも兼ね備えていました。
手足も長く、本当に美しい体操をする選手でした。
世界選手権の個人総合優勝、アトランタオリンピック・シドニーオリンピックとも、段違い平行棒で優勝していますが、ただ、、、オリンピックの個人総合優勝には、結局、縁がありませんでした・・・。(アテネオリンピック・個人総合は、銀メダル)
ホルキナが、オリンピックの個人総合で金メダルを掛けて、表彰台の一番高いとこにのぼる姿、見たかったです。
アテネオリンピックのホルキナで印象的だったのは競技後、ホルキナがロシア国旗を観客席から渡してもらい、演技台に立ったり場内一周したり、喜びの表情を見せていたことです。
今回が最後になるかもしれないオリンピックで、何とか金メダルをあげたい!!、そう思っていましたが、彼女自身は金メダルを逃した悲しみよりも、五輪で初の個人総合メダルに大変喜んでいたように見えました。
団体での銅メダルといい、彼女が決して暗い表情を見せなかった事にホッとしました。
体操の技が、動画アニメーションで解説されているサイトがありましたので、よければ・・⇒こちら
(これ見てると、ものすごい盛り上がるんですけど、私だけ・・ですよね・・・。)
日本体操協会の公式HP⇒こちら
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